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プロフィール
青山 繁晴(あおやま しげはる、1952年〈昭和27年〉7月25日 – )は、作家であり日本の国会議員です。自由民主党所属の参議院議員(2期)であり、自由民主党・衆参両院の議員集団「日本の尊厳と国益を護る会」(護る会)代表を務めています。また、参議院・経済産業委員会理事、参議院・政府開発援助(ODA)沖縄北方特別委員会理事、自由民主党・経済産業部会部会長代理、近畿大学経済学部客員教授、東京大学学生有志ゼミ講師も兼任しています。
青山氏は2024年9月の自由民主党・総裁選への出馬を宣言しており、「政治献金を1円も受け取らず、政治資金集めパーティも一切開かず、団体の支持は受けず、後援会を作らず、後援会長を置かず、完全無派閥」という新しい国会議員の生き方を掲げています。
来歴
生い立ちから就職以前
1952年7月25日、兵庫県神戸市長田区に生まれる。3人兄弟の末っ子として長田幼稚園に通い、その後高校卒業まで父親の転勤により加西市で過ごしました。1971年3月、淳心学院中高等学校を卒業し、同年4月に慶應義塾大学文学部に入学しましたが、1974年2月に中途退学し、早稲田大学政治経済学部に入学しました。1979年3月、早稲田大学政治経済学部を卒業しました。
共同通信記者時代
1979年4月、共同通信社に入社し、徳島支局で徳島県警の事件記者を担当。その後、京都支局、大阪支社経済部、東京本社政治部に異動し、さまざまな重要な事件や政治に関する取材を行いました。1997年12月31日に共同通信社を退社。
三菱総研研究員、独立総合研究所設立以降
1998年1月1日付で株式会社三菱総合研究所に入社し、政策・経済研究センターにて国家戦略立案の専門研究員となりました。2002年4月、独立して有限会社独立総合研究所を設立し、代表取締役社長兼主任研究員に就任しました。
参議院議員当選以降
2016年6月20日、第24回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬し、48万1890票を獲得し当選しました。2016年7月7日号の週刊文春での報道に反論し、その後、政治活動を続けています。2021年7月には、第26回参議院議員通常選挙に再度出馬し当選しました。
選挙歴
- 第24回参議院議員通常選挙(2016年7月10日):63歳、比例区、自由民主党、48万1890票(得票率9.88%)、当選
- 第26回参議院議員通常選挙(2022年7月10日):69歳、比例区、自由民主党、37万3786票(得票率8.23%)、当選
所属団体・議員連盟
- 日本の尊厳と国益を護る会(代表幹事)
- 硫黄島問題懇話会
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- モータースポーツ振興議連(副幹事長)
主張
憲法
青山氏は、現行の日本国憲法は連合国軍による占領下で作成されたものであるとして改憲を主張しています。特に憲法第9条の改正が必要であるとし、国家国民をどうやって守るのかが明確に記されていないことを問題視しています。
安全保障
自衛隊に代わる組織として国民防衛を主眼とする「国民軍」の創設を主張。核兵器の保有には一貫して反対の立場を取っています。
皇室
青山氏は女系天皇容認論に反対し、男系(父系)での継承を支持しています。また、皇居を東京から京都に戻すべきとの意見も持っています。
選挙制度
青山氏は衆議院の小選挙区比例代表並立制に反対し、大選挙区制への変更を主張しています。
エネルギー問題
青山氏は日本周辺の資源開発を進めるべきとし、メタンハイドレートがエネルギー問題の解決策と考えています。
原子力行政
福島第一原子力発電所事故後、青山氏は原子力安全保障の専門家として現地を視察し、対応の遅れによる人災と主張しています。
教育制度
青山氏は寺子屋式の教育に戻すべきと考え、詰め込み教育を否定しています。
歴史認識
青山氏は真珠湾攻撃は米国の陰謀であり、日本はハル・ノートを無視すべきだったと主張。北方領土返還についても独自の見解を持っています。
人物とエピソード
青山氏はジャーナリストとしての経験が豊富であり、共同通信時代には多くの重要な取材を行いました。また、独立総合研究所設立後も安全保障や国家戦略に関する講演・講義を行っています。
健康
過去に骨折や病気を経験していますが、現在も精力的に活動しています。
趣味・嗜好
青山氏はスポーツが趣味であり、特にアルペンスキーやモータースポーツを楽しんでいます。また、音楽や文学、絵画にも造詣が深く、多方面に興味を持っています。
旧統一教会に関する考え
青山氏は旧統一教会やその関連団体からの支援を受けていないことを明言しています。また、自民党内での票の割り振りについても問題視しています。
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